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「オタクモドキ」と「似非フェミ」の絶滅戦争を解きほぐす。

 Twitterで「#オタクモドキを許さない」というタグが作られて話題になっています。

 初めに提唱された方はすでに今後、このタグを使用しない旨を発表されているので、終わった話といえばそうなのですが、あまりにも興味深いのでちょっと触れてみます。

 そもそも、この話はアニメ『グリッドマン』のお色気抱き枕(?)を批判的に語った絢辻かなたさんという方が、さまざまな非難を受けてアカウントを消し、「死亡」を宣言したところから始まるようです。

 あいまいな書き方をしているのは、もうアカウントが消されてしまっているため、じっさいのところこのアカウントにどういうツイートが寄せられていたのかわからないから。

 現在、絢辻さんはすでに「復活」を遂げているようですが、その復活したアカウントが本物なのかどうかも含めて、くわしい事情はよくわからないとしかいいようがありません。

 で、この一件に腹を立てた方が「#オタクモドキを許さない」というタグを作って、絢辻さんを攻撃したオタクならぬ「オタクモドキ」を非難することにしたわけです。

 まあ、提唱者があっさり使用をやめにしてしまった以上、どうせすぐに飽きられて忘れられるであろう言葉ですが、何ともいえない滑稽味があって、面白いと思います。

 もちろん、「オタク」と「オタクモドキ」を分けて、後者だけを非難する非常に差別的な表現であることは論を俟ちませんが、それにしてもその差別性が露骨すぎて批判の言葉として作用しかねているところがあると感じます。

 こういうことを書くと「冷笑系」とかいわれてしまいそうですが、じっさいには「失笑系」というのが正しいのではないでしょうか。

 いや、それ自体はどうでも良いのですが、ぼくが面白いなあと感じるのは、この絢辻さんの一件について「フェミニスト」を主体とする表現規制側と、「オタク」を主体とする反表現規制側で見えている光景がまったく違うということです。

 何らかの対話をしようにも、事実に対する認識が完全に異なっているので、そもそも話にならないわけです。

 つまり、規制側から見れば邪悪な「オタク」なり「オタクモドキ」の集団が無辜の女性に押しかけて、彼女を「殺害」したように見えるし、反規制側から見れば問題発言を行って批判されたアカウントが死亡したとウソをついて逃亡した(そして、また戻ってきた?)ように見えている。

 根底となる「事実」に対する解釈がまるで違っていて、お互いに自分たちは無垢な被害者であり、相手のほうが先に手を出してきたと認識しているのです。いったいこのもつれた糸をどうほどけば良いのでしょうか?

 この双方の認識の、そのいずれが正しいか、という話ではないでしょう。いまとなっては確認しようがありませんが、おそらく、絢辻さんに寄せられたツイートにひどいものがあったことは事実なのだろうし、ぼくはそれを容認するつもりはさらさらありません。

 しかし、Togetterに残されている絢辻さんの意見には共感できませんし、もし彼女が意図的にウソをついて事態を混乱させたのだとすれば、それは批判されて当然のことだと思います(まだなりすましアカウントという可能性が消えたわけではありませんが)。

 ここで大切なのは、規制派にしろ反規制派にしろ、お互いに自分たちこそは「正義」であり、相手は「悪」であると、無意識的であるにせよ認識している点です。

 ぼくには「どちらが正しいか」以前に、この構図自体があまりにもばかばかしいものに思えるのです。

 ぼくは「おれは正義だ!」と信じて殴りかかって来る人間が大嫌いです。気持ち悪くてしょうがない。

 もちろん、人は自分の正義を信じることなしに何ら発言も行動もできないかもしれない。しかし、その正義を暴力や暴言と連結させた瞬間に、正義は堕落を始めることは自明でしょう。少なくともそれこそ『DEATH NOTE』あたりを読んだことがある人間にとっては。

 規制派にしろ反規制派にしろ、客観的正義と客観的悪が激突していると考えている人は多いでしょうが、ぼくは現実には主観的正義どうしがぶつかりあっているに過ぎないと考えます。

 もちろん、ぼくは表現規制に反対する立場ですし、多くの「フェミニスト」や「真のオタク」には共感できませんが、自分(たち)にピュアな正義があるとはまったく思いません。

 ここでぼくはアニメ『プラネット・ウィズ』の一節を思い出すのです。「すべての物事に側面がある。愛をもって視点を変えれば、見ろ、宇宙は祝福に満ちている」。

 大切なのは、この「愛をもって視点を変える」ことです。ひとつの視点だけに凝り固まるのではなく、相手側の視点で問題を見てみるということ。

 その上で意見が変わらないならそれでも良いけれど、自分たちこそ正しくて、だから暴力が許されると思い込むことは危険です。オタクであれ、フェミニストであれ。

 戦争はいつも複数の正義のあいだに起こる。それが、ぼくがフィクションから学んだ真理です。

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