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ドラマ『幸色のワンルーム』放送の是非をめぐるやり取り。

 以下の文章は、LINEで海燕とてれびんがドラマ『幸色のワンルーム』の放送の是非について交わしたやり取りをもとにし、それにわかりやすいよう加筆修正創作捏造をくわえたものです。この問題について考えている人の一助になればと思い公開します。

 

てれびん:いまから、いくつか『幸色のワンルーム』の論点だと思われる話をするよ。海燕さんは『幸色のワンルーム』放送禁止に反対の意見だよね。ぼくは賛成派の立場で主要な批判点を並べてみるから反論してくれる?

海燕:わかった。いいよ。

てれびん:まず、『幸色のワンルーム』は犯罪を美化しているという批判があるよね。これについてはどう思う?

海燕:作品の内容が犯罪を美化しているということ自体はおおむね妥当だと思う。でも、フィクションで犯罪を美化することって一概に悪いことだといえるのかな。『ルパン三世』は泥棒を美化しているよね。『DEATH NOTE』や『コードギアス』はテロリストを美化しているという見方もできる。

てれびん:ふむ。

海燕:極端ないい方をすると、『ドラえもん』だってジャイアンとのび太を仲良く描くことによっていじめを美化していると言えるんじゃないか。でも、さすがに『ドラえもん』を規制しようとする人は少ないでしょう。『ドラえもん』を犯罪を美化しているという理由で規制できないのだとしたら、『幸色のワンルーム』だってできないのではないか、というのがぼくの立場。

てれびん:『幸色のワンルーム』と『ドラえもん』をいっしょにするのはさすがにどうかと(苦笑)。

海燕:そうかな。『ドラえもん』のなかでのび太は日常的に暴力的ないじめを受けているよね。これはあきらかに犯罪じゃない? もし、いじめと誘拐は深刻さが違うというのなら、いじめを軽く見ていることになるんじゃない。ぼくはそう思うけれど。

てれびん:ふむ。まあ、次へ行こうか。

海燕:うん。

てれびん:『幸色のワンルーム』から影響を受けて犯罪者が増えるんじゃないか、という意見もあると思うんだけれど。

海燕:フィクションから影響を受けて犯罪が増えることを示すデータは何もないです。以上。

てれびん:ちょっと切り捨てすぎじゃね。

海燕:でもさ、そうとしかいいようがないんだよ。研究的には映画やゲームの影響で犯罪が増加するという意見はほぼ否定されている。まあ、ここらへんは自分で調べてもらったら良いけれど、いまさら科学的に否定されている意見を持ち出されても困る、というのが正直なところ。

てれびん:でもさ、じゃあ、海燕さんは『幸色のワンルーム』を見て犯罪を犯す奴が絶対にいないと言い切れるわけ? もし事件があったらどう責任を取るの?

海燕:絶対にいないとはもちろん言い切れない。でも、それ言うならそれこそ犯罪報道の影響を受けて人を殺す奴だって出るかもしれないよね。じゃあ、犯罪事件のニュースは禁止するべきか、という話になる。それはさすがに無理でしょ。ぼくはそういう話だと思っている。

てれびん:じゃあ、ここからもっと主要な論点になるんだけれど、そもそもこのドラマの原作マンガって「朝霞市女子中学生監禁事件」の直後に描かれたものなんだよね。それでさすがに事件の影響がないとは言い切れないんじゃない?

海燕:直後じゃない。

てれびん:違うの?

海燕:うん。警察が同事件の犯人を逮捕したのが2014年3月31日。『幸色のワンルーム』の原形となるマンガがネットに発表されたのが同年9月20日。約半年のタイムラグがある。

てれびん:そっか。それはわかった。まあ、それでも直後と言えなくはないと思うけれど。

海燕:まあね。また、事件の初公判の直前なので、事件は再び報道されてはいたらしい。あと、これはぼくは確認してはいないし、いまから確認することはむずかしいんだけれど、事件をもとにした二次加害言説、犯人と被害者は恋愛関係にあったとかそういう妄想の言説はこの時点でまだ流通していたものと思われる。これは重要なポイントだね。

てれびん:ほほう。じゃ、まあ、直後じゃないにしても、その種の報道なり、二次加害言説の影響を受けて『幸色のワンルーム』のもとになるマンガが描かれた可能性はあるって認識でいい?

海燕:いい。

てれびん:いいのか。じゃあ、やっぱりマンガは事件から影響を受けているんじゃん。それはさすがにダメだという意見もあって当然じゃね?

海燕:当然だとは思う。ぼくは賛同しないというだけで。

てれびん:そか。なんで賛同しないの?

海燕:まず、作者は事件の影響を否定している。独立した作品として読んでほしいという声明を出している。

てれびん:いや、でも、それウソかもしれないじゃん。

海燕:そう、ぼくもだから作品は無罪放免だ、とは思わない。というか、たぶん、事件そのものはともかく、事件への二次加害言説には影響を受けているんじゃないのかな。これは確証がないことだから何ともいえないけれど、あっただろう、という前提で話を進めてもいいよ。

てれびん:わかった。でも、そうなると、それはさすがにアウトじゃない? だって、実在の事件をモデルにしていて、被害者の人権を傷つけていることは間違いないじゃん。

海燕:どうして?

てれびん:どうしてって……。それはさすがに責任逃れじゃね? だって、いま、「事件への二次加害言説には影響を受けているんじゃないかな」って言ったじゃん。

海燕:言ったよ。たぶんの話だけどね。でも、「影響を受ける」という言葉の意味がここでは重要。作者はおそらく、事件の二次加害言説から物語のアイディアのヒントを得た、かもしれない。しかし、それは実際の作品には「子供を誘拐した若者と少女がいちゃいちゃする話」というくらいにしか反映されていない。つまり、具体的な事件を連想させる「影響」はほぼ作者の頭のなかで濾過されていて、作品には投影されていない。

てれびん:うーん、その理屈は無理なんじゃ。だって、影響はあったんだよね?

海燕:あったかもしれないし、なかったかもしれない。でも、先にいったようにあったという前提で話を進めよう。ただ、影響があったとしても、それは作品には色濃く出ていない、というのがぼくの立場。

てれびん:ふむ、まあいいよ。

海燕:仮に、作品のなかに事件や被害者を特定できる箇所がそのままのこっていたとしたらそれは問題だとぼくも思うよ。でも、そうじゃない。『幸色のワンルーム』はいってしまえばごく平凡なマンガで、特定の事件や個人をモデルにしたと明確に同定できる箇所はない、といっていいと思う。

てれびん:待て待て待て待て。作者は事件から影響を受けたんでしょ。だったら、マンガには事件の影響が残っているはずなんじゃないの?

海燕:そうとは限らない。最初のヒントをどこで得たかということと、それが作品に反映されているということはべつ。たとえば、ぼくがあるアイスクリームのCMを見て、アイスに毒を仕込む小説を書いたとしよう。でも、そのアイスのCMのことがそのまま作品に残っているとは限らないだろ。そういうこと。

てれびん:うーん……。

海燕:さっきもいったように、この『幸色のワンルーム』というマンガは良くも悪くもありふれた凡庸な筋書きだと思う。たしかに、批判者がいうように特定の事件がなかったらそんなに話題にもならなかったという可能性はなくもない。つまり、よくある乙女のドリームマンガなんだ。これを特定事件への二次加害と位置づけるのは、ぼくは無理だと思うよ。

てれびん:だったら、事件を利用して売り上げをのばしたという見方もできるでしょ。それはさすがに卑劣じゃね?

海燕:それは「受容のされ方」の問題だよね。ぼくはそれを問題視するのは間違えていると思う。だって、作者は作品の「受容のされ方」をコントロールできないから。司馬遼太郎の作品だって狂信的なネトウヨに支持された一面はあると思うよ。でも、それは司馬作品の責任じゃない。

てれびん:ふむ……。まあいいとするか。じゃあ、海燕さんは例の事件の少女への二次加害が増えるのはしかたないという立場なんだね? それはひどいと思うけど。

海燕:そうはいっていない。ただ、『幸色のワンルーム』によってその種の二次加害が増えるなら、二次加害の加害者を批判し糾弾するべきだと思う。作品を責めるのは筋違いという立場だね。

てれびん:ふむ。

海燕:たとえば、『相棒』のドラマを見て、「警察は腐敗している!」という人がいたとして、それは『相棒』を放送中止に追い込む理由にはならないだろう、というとわかりやすいかな。その種のバカは批判されて当然だけれど、それは『相棒』が悪いわけじゃない。

てれびん:じゃあさ、二次加害と同種の妄想を楽しんだら犯人と同罪だという意見もあるんだけれど、それは?

海燕:この記事(http://rainbowflag.hatenablog.com/entry/2018/06/03/204703)の意見だね。ぼくはそうは思わない。なぜなら、フィクションである割り切って架空の物語を楽しんでいるに過ぎないんだから。

てれびん:それはフィクションなら何でも無罪だってことじゃん。ひどくね?

海燕:そうじゃないよ。ぼくはフィクションのなかでも特定個人、ないし不特定多数への明白な人権侵害があったら批判されてもいいと思う。放送中止もやむを得ない場合もあるだろうね。でも、この場合はそれにはあたらないと思うんだよ。だって、作中に具体的な人権侵害箇所がないんだから。

てれびん:でも、作者は事件の影響を受けているわけでしょ。

海燕:さっきもいったようにそれはわからないけれど、そうだと仮定して話を進めよう。ぼくも、もし作者が「この物語のヒロインのモデルは彼女です」などと述べているなら問題だと思う。批判も当然だろう。なぜなら、それによって物語と事件が同定されるから。でも、そうじゃない以上、この物語を例の事件の被害者への名誉棄損と見るのは無理だろうという立場だね。

てれびん:ふむふむ。

海燕:あたりまえのことだけれど、創作作品での名誉棄損は作中に名誉棄損箇所があって初めて成立する。具体的には、特定人物をダイレクトに連想させる箇所が作中にあるならアウトの可能性は高いだろう。でも、今回の例に限れば、そうじゃないとぼくは思っている。もし違うなら具体的にどの箇所が事件を連想させるのか指摘してほしい。

てれびん:ふーむ。じゃあ、もうひとつ。これはぼくがある人から聞いた意見なんだけれどさ、まず前提として女子中高生には現実と創作が完全に分けられない子もいるんだと。で、生活できないような薄幸の男にあこがれる層は一定数以上いると。これはいい?

海燕:いいよ。

てれびん:で、そういう奴の多くは『幸色のワンルーム』で描かれているようなファンタジーを信じ切って突っ走ると。まあ、そういう層があるという前提ね。

海燕:うん。わかる。

てれびん:でね、それでもまともなリテラシーの教育がもう少ししっかりしてたらいいんだけど、『幸色のワンルーム』がドラマ化されると、夢を夢見る乙女たち(家出をしたい、ちょっと貧困層の女の子)が、家出泊めるよおじさんに騙されてしまうかもしれない、と。

海燕:なるほど、一理ある。

てれびん:その可能性がある以上、自分の立場では反対の意見をとらざるをえない、という話だった。あと、同じ被害にあうにしても、せめて未成年ではなく成年であってほしいという意見だったかな。

海燕:わかる。でも、それをいうなら、恋愛幻想を振りまく少女漫画は同じ意味で有害なんじゃないかな。たとえば、いま、パワハラ的行動を取るドS男子を美化した少女漫画が売れているけれど、あれも夢と現実の区別がつかない女の子を性被害へ追いやる可能性は高いと思うよ。

てれびん それも言ったよ。だから昔からそれは問題だと思っていると。でも、いまはネットがあるのと、ドラマ化したら広い層に届いてしまうのと、その辺りを鑑みてわたしは反対の立場だと。教育が充実していてセーフティネットがあるなら、ドラマ化くらいばんばんやれという意見だった。

海燕:理解できる。ただ、ぼくは論理の首尾一貫性をとる。ドS男子恋愛漫画を否定できないなら、『幸色のワンルーム』も否定できない。

てれびん:それからまあ、『幸色のワンルーム』は特定事件を背景にしていて、その事件においては被害者は犯人に対して憎しみを抱いていたにもかかわらず、逆に犯人は『幸色のワンルーム』的な妄想を抱いていたという事実から、グロテスクなものを感じて嫌だと。

海燕:『幸色のワンルーム』が犯人や、二次加害の加害者たちの妄想に近い内容でグロテスクだというのもわかるし、ぼくもそう思う。ただ、おそらくその歪みがあの作品の魅力でもあるんだろうね。グロテスクっていうなら、『Gunslinger girl』なんてもっとグロテスクなわけだし。

てれびん:そうかもね。まあ、反対意見として納得はあった。

海燕:うん。

てれびん:ちなみに、ぼくは数字がポイントだと思うって言ったら、まず、被害が出てほしくない、と。まあ、それはそうだなと思ったね。そうは言っても被害は起きると思うところはあるけれど。

海燕:それは何を優先するかの問題だよね。自動車がなければ交通事故は起こらない。でも、日本は自動車がある社会を選んでいる。自動車を用いるメリットがデメリットを上回っていると判断されているわけだ。同じことがフィクションにもいえるんじゃないか。

てれびん:でも、それだとフィクションはなくてもいいという意見もあるよね。あるいは、「そういう」フィクションは。

海燕:うん。あるね。そういう話なら問題は次のレベルに移る。フィクションは社会においてなくてもいいものだから、すべてのフィクションを全面禁止にしようというならある意味、理屈は通っているとぼくは思う。賛成はしないけれど、論旨はわかる。

てれびん:まあね。極論だけどね。

海燕:極論だけど。ただ、社会に悪影響を与えるフィクションだけ取り除こうということだと、どうやってそういう作品を選び出すのか、という問題がある。そもそも、何が悪影響と認定するのか。仮に『幸色のワンルーム』のドラマを見たら薄幸な少女が家出しやすくなるとして、それを完全に悪影響とのみいえるのか。うちにいるより家出したほうが幸せになれる例も皆無じゃないだろう。

てれびん:ふむ。

海燕:その切り分けは不可能だと思う。どうしたって、「こういう悪い内容の作品は青少年に悪影響を与えるに違いない」といった、思い込みに満ちた非科学的、非論理的な規制論が幅を利かせることになるだろう。だから、ぼくは表現の悪影響を考慮して特定の作品を規制することには反対かな。

てれびん:でもさ。

海燕:うん。

てれびん:その人は、全然、海燕さんに話通じてない気がしてそこは微妙な気持ちがあるって言っていたよ。海燕さんはとにかくフィクションにアウトがあるのがやだって立場だから平行線にしかならないし、その点では被害がでるくらい何てことないって言ってるようにも見えるよ……。

海燕:そっか。傷つくな……。第一に、ぼくは「フィクションにアウトがあるのがやだって立場」じゃないつもり。あまりにも危険だったり、露骨に人権侵害が見られるフィクションなら放送中止もやむを得ない場合もあると思う。ただ、今回はそうじゃないと思っているというだけ。その理由はいままで述べた通り。

てれびん:うん。

海燕:で、第二に「被害がでるなんて何てことない」なんて思っていない。しかし、その種の被害だけが絶対の意味をもつとも思わない。つまり、犯罪事件の被害者が出ることはもちろん重大なことだけれど、その可能性を少しでも下げるためならテレビドラマの一本くらい放送中止に追いやられてもやむを得ないとは思わない、ということ。

てれびん:うーん。

海燕:あと、「見える」のじゃなくて、「あなたがそう見ているのでしょう」ということは思うかな。大半の人の意見がそう見えるということに一致しているなら考慮するけれど。

てれびん:ふーむ。その人がいうにはね、わたしは作者本人や出版社だけでなく、未成年に対して大人が責任を持っていると感じているんだと。大人全員がね。

海燕:うん。そうだね。

てれびん:で、社会はとりあえず大人の声で作ってるものだから、オタクは弱者かもしれないけれど(もうそんなことないか)、成人という強者なので、その楽しみや主義主張の気持ちよさで子どもにツケを回すのにはやはり違和感があるんだと。

海燕:なるほど。

てれびん:海燕さんは自分が大人なことをカウントしたくないように見えるときがある。永遠にモラトリアム時期の自分のサイズが、自己の規定サイズになってるような……。今回見ててこわいのはそこですね、と。

海燕:じゃあ、返答しようか。まず、「見える」のじゃなくて、「あなたがそう見ているのでしょう」ということはもういったよね。

てれびん:うん。

海燕:で、今回、この件を「オタクの楽しみや主義主張」のために「子どもにツケを回す」と解釈するのは非常に違和感がある。だって、『幸色のワンルーム』って、成人オタク向けの作品というよりは、若年女性向けの作品だと思えるから。そもそも、そうだからこそ「子ども」に悪影響が及ぶという話じゃなかったの? 成人オタクが中心に読んで「子ども」はほとんど読まない、見ないのなら「子ども」への悪影響を心配する必要ないでしょ。

てれびん:なるほど。

海燕:まあ、このマンガやドラマがそうかどうかはともかくとしてさ、一作の漫画があるから生きていける、という子供もたくさんいると思うわけ。その子供から読書なり視聴の権利をわけもなく取り上げることを、「大人の責任」だとはぼくは思わない。たとえ、その子供がまだ未熟で、十分に作品を消化し切れないかもしれないとしてもね。

てれびん:うん。

海燕:あと、ぼくが大人に見えない、モラトリアムに自分を規定しているように見える、ということは、まあそう見えるんだな、というしかないね。ネットにはぼくより子供っぽい大人が山ほどいるように見えるので、ぼくはまだマシなほうだと思っているけれど。

てれびん:うん?

海燕:そうでもないのか……。傷つくな……。

てれびん:うん。で、その人がいうにはね、海燕さんが未成年の自分をかばいたくて論を張ってるんだろうとも思うんだけど、実際は成人でしかないからアンバランスだし、思っている以上にすごく強い主張になってるんだと思う、と。ていうか、わりと、言い負かしたい欲があるよね、『幸色』実写化を認めない人たちを。その辺が意見を硬くしてるのかなーとか思ったよ、と。

海燕:ふむ。具体的にどこがアンバランスなのか教えてもらわないと何とも答えようがないかな。ぼくの態度に慇懃無礼なところがあるのは認めるよ。ていうか、じつは意識してそうしているところもあるんだけれど、それは主張の内容とは関係ないし、急に優しくて柔らかい人間になれっていわれても無理だよね。

てれびん:ふむ? でも、まわりを怒らせたり傷つけたりするリスクがあるよね?

海燕:それはあるね。でもさ、まわりを怒らせたり傷つけたりするのって単純に悪いことだといえるかな? 少なくともぼくは、一方的にだれかをこうだと決めつけたり、罵倒したりはしていないつもりなんだけれど。それでも、怒ったり傷ついたりする人はいる。そういう人に配慮できるようになるのは、ぼくはちょっと無理かな。

てれびん:うーん。そうじゃなくて、態度の問題だと思うんだけれど。もうちょっと優しく、柔らかく、思いやりをもって接するべき、って話なんじゃない?

海燕:そりゃ、理想はそうするべきだと思うけれどさ。ぼくには無理かなあ。それが人間として未熟だといわれたらそうだろうけれど。いまでも言説の切っ先に鞘をかぶせて、あふれ出る悪意を抑えているんだからね。

てれびん:そうなの?

海燕:そうなんだよ。

てれびん:ちなみにその人が言うのはさ、放送前に5分間でも、実際の誘拐は許されないとか、同様の被害あれば窓口こことかの紹介動画あったら全然立場は変わると。表現に反対しているというより、予算規模や公開規模に対して取り扱いの雑さに反対してるという意味、とのことだった。

海燕:ふーん。まあ、そこらへんの表現や広告の雑さはぼくも気になっていて、いまはセーフだと思っているけれど、この先アウトになる可能性は十分にあると思っているね。そうなったら旗幟をひるがえすよ。その人がどう思っているかはともかく、ぼくはべつに何が何でもすべての表現を守ろうとしているわけじゃないから。

てれびん:あとはね、被害者になりえない立場からの意見は、被害者だったひと、被害者になりかねなかった人からみたら、すごく残酷にみえるときがあるよ。その点はたぶんLINEを見たかんじだとどう加工してもどうにもできないよ。被害者に寄り添わない、俺は被害者ではない、という表明に見えるから。ともいっていた。

海燕:そうかね。いや、でも、被害者がじゃない人が「自分は被害者に寄り添っているよ」という態度を見せたら、そっちのほうが欺瞞に満ちて気持ち悪くないですか。やろうと思えばできると思うけど。やろうか?

てれびん:うーん……。そういうことじゃないと思うんだけれど。

海燕:ちなみにぼくはいじめで自殺しようとしたことがある人間で、それで精神病院に入院を勧められたことがあるし、いまでも自傷をやめられないけれど、いじめ被害者の気持ちは被害者にしかわからないとかそういうことをいいだそうとは思わないよ。それは被害者の立場を特権化する不健全でアンフェアな議論に見える。

てれびん:いや、そういういい方が反発を呼ぶんじゃないかな(苦笑)。

海燕:そっかー。そうだよね。でも、じゃあ、どうすればいいんだろ? この件に関してはぼくが被害者でも被害者になりそうな人間でもないという事実は曲げられないし、だからといって沈黙するわけにもいかない。もうちょっと思いやりをもって接しろってことか。これでも十分に話の切っ先を鈍らせているんだけれどなあ。

てれびん:ちょっとした話しかたしだいだと思うんだよね。

海燕:うん。まあ、そこらへんは今後の課題だね。

てれびん:うん。で、さらにその人がいうには、まあこの問題、女性側からはけっこう厳しい態度にならざるを得ないというかね。10人中10人がみんなどうやっても痴漢とかセクハラにあう人生だからね。これを語ることでそう扱われた自分の記憶に触れざるを得ないから、みんなトゲトゲしくなりやすいとは思うよ。そういう生々しさに対して、冷静にいたい、というだけでも過剰な人からは「結局他人ごとこねくりまわして遊んでるだけじゃん」とか見られかねなくてちょっとだいぶリスキーだね、と。

海燕:そのリスクは引き受けるよりほかないよね。で、その過剰な人の批判ははっきりいって不当だと思う。当事者の「生々しさ」はもちろん無視されるわけにはいかないけれど、だからといって常に最高のプライオリティをもつとも限らない、というのがぼくの立場。当事者の生々しさというならさ、ぼくが精神障碍者職業斡旋施設でどんな目にあったか話そっか?

てれびん:いや、いいけどさ。そういう態度自体が攻撃的だとみなされるんじゃね?

海燕:これが攻撃的だというなら女性の立場の「生々しさ」を尊重するべきというのも攻撃的なんじゃないかな……。まあ、わかるけれどさ。たしかに「生々しい」問題に関して語るときには、簡単には冷静でいられないことはわかる。そこに「まあまあ、冷静に話しましょう」という奴がいたら腹が立つかもね。

てれびん:そう思うよ。

海燕:まあ、ぼくは人類存在へのふつふつとした怒りを抱えて生きているので、それを八つ当たりぎみにして論理の言葉で語っているところはあるかもね。でも、じゃあ、どうすればいいの?って思うんだけれど。論理以外の何で話せるの?って。

てれびん:うーん。

海燕:たしかに、ぼくの抱えている怒りと憎しみと悪意がいくら抑制してもにじみ出てしまっているというところはあると思う。で、感情は抑制してもなくなるわけじゃないので、どんどん風船がふくらむように限界が近づいているのはたしかかもね。

てれびん:ふむ。

海燕:じっさい、ぼくは自分に課しているリミッターを外して悪意をそのままに露出させたら、恐ろしく残酷になれる自信はある。たとえ中二病だと笑われようとそう思う。抑制しているからこれくらいで済んでいるのであって、感情が爆発して抑制しなくなったら相当ひどいことになるよ。

てれびん:まさにそれを心配されているんじゃないの? そういうひどさを自慢するような態度が子供っぽいって思われているんじゃ。

海燕:そうね。じっさい、ぼくは自分が立派な大人だとは思わない。ただ、大人に求められる最低限のルール、悪意の刃をさやから出さないということは守っていると思っているということだよ。だから、ぼくの態度が問題だとしても、今回、ぼくは自分の感覚の「生々しさ」をいいわけにして、抑制しようともせずに他者に悪意をぶつけてまわる人をたくさん見かけた。そういう人たちはもっと問題だと思うんだけれど、そういう人たちはどうなんだろう。

てれびん:それとこれとはべつの問題だと思うよ。

海燕:そうか。そうだね。まあ、それも今後の課題かな。これくらいで終わりにしておこう。

てれびん:うん。

海燕:まあ、その人の主張はよく理解できるし、ぼくも反対の立場でもいいんだけれどね。今回はぼくはこっち側かな、と。その人に意見をくれてありがとうと伝えておいて。

てれびん:うん。じゃあね。

 

さらに、補足として、海燕がマジへこみしたあとの海燕とてれびんのやり取りを掲載しておきます。

 

海燕:それにしても、ぼく、そういうふうに思われていたのか。辛いなあ。マジへこむわ。

てれびん:んー、今回はそう見えた、ってことなんじゃないかな。

海燕:ぼくはこのパターン、ほんとにダメだね。毎回、同じパターンで落ち込む。

てれびん:だよね。そこは誤解されやすいと思う。海燕さんのロジックが第三者的に想定しにくいのだと思うよ。ぼくも最初、わからなかったもん。

海燕:ふむ。どういうところが?

てれびん:こだわりの理由がわかりにくいかったかなあ。一見、単に人の言うことを聞かない人に見える。

海燕:なるほど、まあ、わかる。

てれびん:興味を持って見ていると、そのうち、そうではないなとわかってくるのだけれどね。

海燕:そうではないつもりなんだけれどね。納得いく説明を受けたら納得する。ただ、そこまでいくまでしつこいというのはあるかなあ。

てれびん:納得するポイントがわからない人にはわかりにくいんだろうなと思うね。

海燕:そのつどいちいちここが納得いかないと言っているつもりなのですが。

てれびん:うん。そのポイントで同意が取りにくい相手がいるということね。

海燕:うーん。同意が取れないのは仕方ないとして、折れないといけないものだろうか。

てれびん:納得いかなくても納得したふりをしてほしい人はいるよ。アンフェアだけれど。

海燕:わかるけれどね。ぼくはそれは相手に対して不誠実だと思うんだよ。人をバカにした態度だと。

てれびん:ぼくもそう思うよ。

海燕:うん。

てれびん:でも、その相手にとっては海燕さんの態度が不誠実に映るんだろうね。

海燕:わかるけれどね。だから、だだちゃ豆さんに理解されなくてもしかたないと思う。でも、友達からあなたはまったくわかっていないといわれるとショックだよね。わかった上で同意していないつもりなんだけれど。

てれびん:うん。

海燕:あのさ、てれびんとも話が合わないことはよくあるじゃん。

てれびん:あるよね。

海燕:うん。で、おたがいになんでこれがわからないんだって思うのはわかるんですよ。でも、そこで人格の未熟さを指摘されると辛い。ぼくはね。

てれびん:うん。

海燕:つまりさ。普通は論点がもっと前にあるってことなのかな。相手に対する譲歩が足りないと。完全に理屈が通らないと納得しないっていうのは、まったく納得しないのといっしょだと。

てれびん:勉強したら女性の苦しみはわかるはずなのに、勉強しないというところが問題だと考えているという人はいるかもしれないね。

海燕:ふむ。

てれびん:「わたし(たち)」の苦しみに共感してくれるか、というところもひとつのポイントなんだろうね。理屈を述べるのではなく、わかってほしいと。論理的じゃないという批判もできるけれどね。そういうと、怒る女性も多いだろうけれど。

海燕:いやさ。ぼくは、女性とはそういうものだとか、それが女性たちの生得の特徴だとかは思わない。もちろんね。ただ、どっかで学習する人は少なくないのかもね。

てれびん:うん、でさ、女性は苦しんでいるんだと。そうならざるをえない苦しみがあるんだと。だから、配慮しろと。そういうふうにいう人はいるんじゃないか。

海燕:んー。それでいいの?

てれびん:いいの、とは?

海燕:いやさ。そう主張する人はそう扱ってもらえば満足なのかなと。

てれびん:それは微妙かな。満足する人は一定数いるだろうけれど。

海燕:うーん。そうなのか。ぼくは嫌だな。ようするにさ。ぼくは理屈が通ったら納得するつもりなんだけれど、ある種の人たちから見ると、それは一切納得しないのと同じに見えると。そういうことなのかな。

てれびん:厳密に言うと、違うけれど価値としてはほぼ同じ扱いになるというほうが近いかな。

海燕:うーん、なるほどね。ちょっとわかってきた。ぼくは女性だからといって特別に配慮したりするのは女性を見くびった行為だと思うんだけれど、現行の社会ではしかたない側面もあるということかなあ。もちろん、今回、意見をくれた人はそういうことの問題点はわかっていると思う。それでもそういう扱いが必要なんだってことだよね。なぜなら社会が成熟していないから。

てれびん:うん。そういう立ち位置なのかもしれないね。

海燕:なるほどね。わかってきた。つまり、理屈の正しさだけを見て現実に配慮しないのは子供だということか。大人は理屈はわかっていても現実の利益を考えて配慮することをためらわないものだと。

てれびん:ぼくはね、人は大人になんてなれるわけがないと思う。それでも立場から、言わないといけないことはある。それが人からは大人に見えているだけだと認識している。

海燕:今回、ぼくの規制反対のロジックに関してはほぼ批判を受けなかったわけで、あるいは理屈だけ取ったら納得してもらえるところも多かったのかもしれないね。でも、大人だったら子供を救うためにはそれを曲げることも考慮するべきでしょ、と言いたいのかな。

てれびん:それも、まあ、あるかな。たぶんね。

海燕:うーん。そちらのほうが、大人としては子供を救えるだろうということかな。そこは相容れないかなあ。

てれびん:社会が未成熟だからまだ早すぎる、と言っていた。

海燕:ぼくは『グイン・サーガ』の主人公グインの信者なんだけれど、グインはさ、どのような悲劇をもたらそうと真実を曲げるべきではない、というわけ。

てれびん:ふむ。まだ早いなら時計の針を進めたらいい、おれが世界の時を進めるというのかと思った。

海燕:いや、そういう話じゃない。栗本薫は社会の進歩とか信じていないと思う。まあ、それはいいけれど。

てれびん:まあさ、それは無責任だと思っているんじゃないかな。

海燕:だからさ、ぼくに意見をくれた人がいいたいのは、そういう理屈はいいんだと。とにかく子供が死ぬんだと。だったら理屈をこねていないでその子を守るべきだろと。それが大人だと。そういうことなのかもしれないね。

てれびん:うん。

海燕:でもさ。それを認めると、それこそ時計の針は進まないよね。

てれびん:そう。あと、いずれにしろ、お前の行為は人を殺すよとぼくは思う。だからさ、覚悟を持ってやれ、と。わたしのひと言が人を殺しているんだと自覚しろ、と思うかな。

海燕:結局さ、どっちに転んでも子供が死ぬ可能性はあるんだよ。今回の件でいえば、ドラマの企画がぽしゃって社員が仕事を失い、そのうちの子供が路頭に迷う、という可能性もゼロじゃない。一方が正義で他方が悪、という問題じゃないと思う。

てれびん:うん。

海燕:「悪をなす系」だよね。悪をなさないことには何もできないんだと。だから覚悟をもって悪をなせと。

てれびん:で、どうやっても、海燕さんは子供に見えると、ぼくは思うよ。

海燕:うん。あのさ。『はだかの王様』の話あるじゃん。

てれびん:うん。

海燕:あの話って、だれかが王様は裸だと叫んだら、犠牲者が出るかもしれないわけじゃん。王様に処刑される人が出るかもしれないわけでさ。で、そのことを自覚しないで無邪気に王様は裸だと叫ぶのはたしかにガキだよ。でも、自覚し覚悟をもったうえでそれでも王様は裸だと叫ぶべきだと思うなら、それは止められない。

てれびん:そうだね。

海燕:たとえ人が死ぬとしてもね。それが正義だとは思わない。でも、人間が行動するとはそういうこと。どうしたって犠牲は出る。あくまでもしぼくの理屈が正しいとしたらの話だけれどね。

てれびん:うん。ただ、叫ぶことが有害だと感じる人は一定数いるよね。だから批判する。

海燕:うん。じっさい、有害ではあるんだよ。犠牲者を出すんだから。ただ、王さまがはだかだという事実を曲げることはそれはそれで有害。もしあくまでも弱者に配慮するべきだという人がいるとしたら、その自覚はあるのか、自分もまた人を殺しているかもしれないという覚悟はあるのか、というところは気になる。もし、それがあるなら敬意をもって対立者として認識するんだけれど。ルルーシュがスザクを敵として認めたように。

てれびん:いや、でも、自覚しても責任取れないじゃん。取れない責任を覚悟はできない。だから、自覚はするし、受け止めるつもりはあっても、責任を取る覚悟はないんじゃないかな。むしろ、責任はとれないものと考えるのかも。

海燕:ふむ。

てれびん:責任を取れない覚悟は、ファッション覚悟かもね。たとえば、「きみのせいで星が落ちてくるけど責任とれるのか」といわれたとして、『ドラゴンボール』の孫悟空なら取れるだろう。それが昔の物語。ルルーシュでも取れる。でも、現実の人間には取れない。だから、社会で責任を取る。ひとりで取れないから、みんなで取る。

海燕:なるほど、面白いね。さて、そろそろ寝るか。

てれびん:うん、おやすみなさい。

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