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愛国心を表明することは悪なのか? 『HINOMARU』を考える。

 RADWIMPSの『HINOMARU』という曲が発売された。露骨に日本に対する愛国心を表明した歌詞が賛否を呼んでいるようだ。

 しかし、思うに、愛国心そのものが悪いのではない。愛国心をいいわけに同調しないものを攻撃し、排斥することが悪なのだ。愛国心そのものを否定することはできない。何を愛そうと、憎もうと、他人に強制しなければそれ自体はその人の自由。

 ぼくの立場は単純だ。国を愛するのも自由。愛さないのも自由。愛するのも自然。愛さないのも自然。愛を表現するのも自由。しないのも自由。他人に強制しない限り好きにすればとしかいいようがない。

 日本人が日本を愛さないことを否定できないのと同様、愛することも否定できない。すべては個人の自由。あたりまえじゃないか。何か議論の余地はあるかな。

 国を愛するというと、すぐに右翼、保守という言葉が浮かび、危険な印象を与えるのはわかる。だが、ここは理性的に問題を切り分けするべきだ。何かを愛することを止めることはできない。何かを愛さないことを非難できないことと同様だ。ごく単純な話じゃないか。

 歌詞そのものに問題があるのではなくその影響が問題なのだというのなら、それは歌ではなく影響を受けておかしなことを言い出した人を個別に批判するべきだ。また、歌詞の内容に問題があるなら、具体的にどこが問題なのか明確に示して批判するべきだろう。粗雑な印象論で批判するべきではない。

 国を愛するも、愛さないもその人の自由だ。ある萌えキャラに萌えるも、萌えないも自由であるように。ただ、自分の萌えを他人に押し付けることがいけないように、愛国心も押し付けちゃいけない。その程度の話かと。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、はひとの自然な心理ではあるだろう。しかし、そこでグッと我慢して坊主と袈裟を切り分けられるようでないと人を批判する資格はないと思う。

 で、『HINOMARU』を購入して聴いてみた。いい曲ですね。

 『HINOMARU』が普通にいい曲だとわかったので、ぼくの意見はそこで終わりかな。あ、歌詞のセンスがダサいとかはいくら言ってもいいと思うよ。それは個人の感想なので。逆に言うと、個人の感想以上の普遍性をもった意見にするためには、一定の論理性がないといけない。

 保守的/愛国的/右翼的な「印象」を受けるからダメだ、という意見は、個人の感想としてはありであっても、普遍的な批判として機能するだけの論理強度を持たない。そんなことではだれも納得させられないだろう。べつの印象をもつ人もいるよ、で終わり。

 もし批判するとしたら、愛国心を表明すること自体が悪だ、はどう考えても成り立たないので、表明のしかたが不適切であるということになるかな。歌詞の内容を具体的に見て行って、不適切な個所があれば批判していい。ぼくは特にないと思うけれど。まあ、歌詞のセンスに関する印象論はともかく。

 日本は歴史が歴史だから、愛国心について警戒することはよく理解できる。また、愛国心そのものと愛国心の強制は紙一重ではある。しかし、紙一重ではあっても違うものであることはたしかなので、愛国心そのものを責めることはできない。責めれば、逆にそれは狂った力をもつだろう。

 たとえば「日本が好き」、「日本という国を愛している」などと素朴に表明したとして、「右翼的だ」、「過去の歴史を知らないのか」、「そういう思想が戦争をもたらすのだ」などと批判されたとする。そういうことがあるようだと、それらの意見に反発を感じるのも当然ではないか、とぼくなどは思う。

 ぼく自身がどちらかといえば左がかっている人間だから(まあ、ぼくらの世代はだいたいそう)、愛国心という言葉に条件反射的に警戒を抱いてしまうところはある。しかし、ここはぐっとこらえて、理性的に判断したいところだ。愛国心は同調圧力によって否定されるべきものではない。

 ただの想像だが、『HINOMARU』の作詞者の野田洋次郎さんは、おそらく素朴に日本が好きだという愛国心を表明しづらい同調圧力があると感じ、それに対するアンサーとしてあの歌詞を書いたのではないか。そういう状況背景が若年層にありそうだということをまずは認識するべきだと思う。

 ゆずやRADWIMPSは「国歌はこっそり歌わなくちゃ」という言葉に象徴されるような、素朴な愛国心が抑圧される空気が日本にはあると感じており、それに対するカウンターとして作詞している。少なくともそのつもりである。そういうことが認識されていないと、話はずれるばかりだと思う。

 「そんな空気はない」という意見はあるだろう。しかし、現実にゆずやRADWIMPSの曲は極端な批判のされ方をしているではないか? この批判内容の歪み方こそがそういう空気そのものだ。批判するのなら、適切に批判するべきで、故に愛国心の表明そのものを否定するべきではない。

 いい換えるなら、若者が右傾化するとすれば、それは素朴な愛国心の発露そのものを否定しようとする人々の責任でもある、ということ。愛国心が暴走しないよう監視することは必要だが、逆にいえば、暴走してもいない愛国心を否定することは、若者をかえって反発させ右傾化させるだろう。

 本来、批判するべきでないものを批判し、抑圧するべきでないものを抑圧すると、あいては反発を感じて過激化するんだよ。だから、愛国心を他者に強制しようとする偏狭な右派を叩くのはいいけれど、単に素朴に愛国心を発露しようとする人を叩いちゃいけないわけ。この違い、わかってもらえるかな。

 『HINOMARU』の歌詞が歪んでいないかというと、歪んでいるとは思う。右がかった印象を受けることもたしかだろう。しかし、「右でも左でもない」と自認する人にそういう歌詞を書かせたのは、素朴な愛国心そのものを抑圧しようとする人々でもあるかもしれないということです。伝わるかな、この話。

 「愛国心」と「愛国心の押しつけ」を区別しないでまとめて叩いたほうが楽だということはわかる。でも、そういう理不尽な叩き方をすると当然、叩かれたほうは不満に感じ、右寄りの表現に走ることになる。それをまた理不尽なやり方で叩けば、さらに過激化する。批判するならするで適切に批判するべき。

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