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Keyの名作ゲーム『AIR』の感動は何だったんだろう?

 海燕です。どうも最近、このブログの内容は記事ごとに細切れにして話すにはむずかしい内容を扱っているような気がします。

 難解というわけではなく、「わかる人にはわかる」話をしているのですが、はたしてこれはどの程度正確に伝わっているのか? 不安がなくもありません。

 と書くのも、きょうはいままで書いてきたことを踏まえて、さらにわかりづらい話を展開しようと考えているからです。どうか、付いてきてくれると嬉しいな、と思います。

 さて、この世には「ミクロ」と「マクロ」の問題が存在し、それぞれに対応する物語があるというところまで話をしました。

 そして、マクロとミクロの物語では異なるテーマが存在するが、それらがリンクしあう物語もまたあり、その象徴となるのが「マクロの問題を一身にひき受けるヒーロー」であるということも話したと思います。

 ちなみに、この「無限の責任(responsibility)を背負う、つまり無限の呼びかけに対して応答(response)するヒーロー」が、善悪二元論がまかり通るこの世界において、一身を「悪」に見立て、残るすべての世界を救済するという物語形式を、ぼくは「生贄の王の類型」と呼びたいと考えています。

 典型的なのは『コードギアス』のルルーシュですが、この時、ヒーローはフレイザーのいう「森の王」(だっけ?)よろしく、全社会の全責任を背負って物語から退場するのです。

 じっさいに退場するところまでは行っていませんが、アメリカのヒーロー映画の頂点である『ダークナイト』もこの類型ですね。バットマンはまさに「生贄の王」そのものです。

 しかし、きょうはその話には深入りしません。実はきょう、ぼくはマクロをも超えた「ウルトラマクロ」というものがありえるのではないか、という話をしたいと思うのですよ。はっきりいって自分のなかでもまるで煮詰まっていない話なのですが……。

 それでは、ウルトラマクロとは何か? それは神であり、楽園です。運命であり、悟りです。あるいはイデアとか超越という言葉を使うこともできるでしょう。

 つまり、ミクロとかマクロといった区分が通用する現実世界を超えた超越的次元のことを、ここではウルトラマクロという言葉で指し示しているわけです。

 ――怪しい話だと思いますか? ぼくもそう思います。しかし、一面でひとは現実的な要素だけで生きていくことはむずかしいということもたしかです。

 「ひとはパンのみにて生きるに非ず」。そして、パンに加えてサーカスだけあればいいというものでもありません。何か日常世界を超えて気高いもの、美しいものにふれたいという想いが、人間にはやはりあるのだと思います。

 もちろん、そんなものはいらないという考え方もあるし、そういう考え方だけでも十分に生きていくことができることはたしかですが、今回はそういうウルトラマクロを必要とする人々がいるということを前提として話をしたいと思います。

 さて、音楽や文学、あるいは映画、あるいは建築といった芸術作品の最高なるものは、それを受けるひとに「神なるものにふれた」という感動を呼び起こすことがあります。

 たとえばモーツァルト、たとえばサグラダ・ファミリア。何でもいいですが、「この世の限度を超えたもの」を垣間見たかのような得もいわれぬ感動です。

 もちろん、どんなに感銘を受けたとしても、次の瞬間、ひとはその一瞬だけ垣間見た超越世界を離れ、あたりまえの日常世界へ帰っていかなければならないのですが、それにしてもそこには一般の日常生活では得られるはずもない感動があります。

 この感動のことを、いささか問題がある言葉かもしれませんが「宗教的感動」と呼びましょう。この宗教的感動は、時に人生そのものを変えるほど大きなものとなりえるかもしれませんが、しかし一方で「この世界にあるもの一切合切」の価値を見失わせるということにも繋がってしまいます。

 つまり、何であれ超越的な世界に触れることは「すべてこの世のものには価値がない」という価値観に至ることにも繋がるわけです。それは直接的にファシズムへと連続していくでしょう。

 そう、「超越世界」と「現実世界」の二項対立的思考を持ち出し、前者には価値があるが後者には何の価値もない、とか考えてしまうと、ひとはテロルの思想に走ることになります。ようするにオウム真理教とかになってしまうわけです。

 でも、それでもなお、ぼくが体験したいくつかの作品――『AIR』とか『SWAN SONG』のクライマックスの感動はやっぱり「神なるもの」、「この世界の彼岸」に指先がふれた、というその感動だと思うのですよ。

 つまり、『AIR』や『SWAN SONG』はミクロな事件を描き出すことを通して、プレイヤーをウルトラマクロなる世界へと接続させようとした野心作だったといえると思うのです。

 そのウルトラマクロの超越世界を、ぼくは同人誌『戦場感覚』のなかで、宮沢賢治を引用しつつ「ポラリスの銀河ステーション」と呼んだりしました。ひとの世界の彼岸――すべての「差別」が意味を失う神の世界です。

 ――うん、やっぱり怪しいね。ただ、今後、この「ウルトラマクロ」という言葉を使って話を展開することもあると思うので、記憶しておいてください。

 とりあえず禅とかキリスト教とか、そこらへんの宗教学の本を読んでみないといけないなあ、と思いますね。我が身の無知が恨めしい。勉強せねば――。

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